沿革

教翁上人は東照宮の御師範なり。
長沢の松平兵庫頭入道争賢の息にして、
幼少の頃眼晴を失う。
その悲母哀惜に堪えずして、二村山観音ならびに当寺の薬師に祈り、誓って曰く、
この児の眼病癌えんがために出家して俸給せしむべしと。
日ならずして両眼明らかになる。
即ち二村山六世の康翁洞雲上人に剃髪を授かり、功を積み学業年を経て二村山七世となる。
謝恩のため当寺建立これあるなり。